【続き】親は最初に願いを叶えてくれた存在。自分という存在を実体化してくれた存在。
全ての人が幸せで豊かな人生を生きられるように
このblogは、
人生をもっともっと良くして行きたいと望む
かたたちのために、
心理カウンセラーの青山紀子が、
発行しています✨
💄ご提供中のサービス👠
🌸個人セッション🌸
今あるお悩み、今ある問題は、
他者基準の人生から自分基準の人生を生きるために
起きているのかもしれません。
自分基準の人生を生き始めたとき、
いかに、自分の人生、自分自身が素晴らしいのか、
今までとは違った人生に気づいていくようになります。
あなたの人生を根本からひっくり返し
あなた本来の望む人生を生き始めるレッスンです💋✨
昨日の続きの記事になります。
前回はこちらから↓
そしてある時、
面白い気づきが降りて来ました。
ふと何気ない記憶。
母親が私に、話している内容です。
「産もうかどうか悩んでいたとき、
あんたがお腹を蹴ったんだよね。
今日こそは病院に行かないといけないと思ったけど、
でもその時に蹴ったんだよ。」
中絶可能な時期に、
お腹を蹴ることが出来るのかな?
あくまでも私の勝手な記憶です。
「あ、この子は、
生まれたがっているんだね!
じゃあ産まなきゃ!」
私は、
子ども心に傷ついていました。
普通、子どもに、
こんなこと言いますか?(笑)
って。
なんて無神経な親なんだろうって、
思っていました。(^_^;)
この話を何気なくずっと覚えていて、
ふとした時に浮かんで来るこの思い出は、
意味があるから出て来るものだというのは、
分かっていました。
そして、ある時に、
全く新しい気づきを得たのです。
子どもながらに傷ついたこの言葉。
「産もうかどうか悩んでいたとき、
あんたがお腹を蹴ったんだよね。
今日こそは病院に行かないといけないと思ったけど、
でもその時に蹴ったんだよ。
あ、この子は、
生まれたがっている。
じゃあ産まなきゃ!」
あぁ、そうか。
そういうことだったのか。
これは、私が傷ついた思い出を、
繰り返し思い返しているのではなく、
ある事実を教えてくれていたのか。
私が生まれたくて、
生まれて来たのだと。
それを教えてくれている記憶だったんだ。
親に祝福されて生まれたいと願っていた。
(待ち望んだ子どもみたいな感じで)
周りに望まれて生まれたいと願っていた。
それは、結局のところ、
受け入れて欲しい、
私が価値ある存在だと思って欲しい、
認めて欲しい、存在を愛して欲しい、
私の存在を喜んで欲しい。
私が思うのではなく、
あなた(親)が思ってよ。
あなた(親)がそんな風に、
私をちゃんと扱ってよ。
そうじゃないと、
自分のことを、
価値ある存在と思えない。
生まれて来て良かったと思えない。
何のために生まれて来たのか分からない。
別にいてもいなくても同じだったんじゃないの。
あなたが産んだのだから、
ちゃんと私を必要と思ってよ。
そんな思いです。
だけど、
この新しい気づきは、
あぁ、私が生まれたいと思ったんだ。
あぁ、私が生まれたいと思ったから、
母親はそれを叶えてくれた存在だったんだ。
だけど、子どもの頃の私、
若い頃の私は、
ただただ、出来事を見ては、
傷ついていただけだったんだ。
私が、生まれたいと思って、
それが叶った世界なのにも関わらず、
私を愛してよ、私を必要だと思ってよ、
って、おかしな話。
生まれてやったんだから、
可愛がれよ!愛せよ!ちゃんと扱えよ!
って言っているようなものね。(笑)
私が、生まれたくて、
この世界で何かを体験したくて、
生まれて来たんじゃない。
親はそれを叶えた存在じゃない。
ありがたい存在じゃない。
なんて感謝なのだろう。
それだけで、すごく感謝じゃない。
この肉体がなければ、
そもそもこの世界で、
体験することなんて不可能なんだから。
それ以上に、
親に何を求めるの?
ある時から、私は、
親を親として見るのではなく、
親を一人の人間として、
見るようになっていきました。
親を親だと思うから、
親としての期待を手放せず、
(親だったらこうしてくれるのが当然!というようなもの)
されたこと、してもらえなかったことに、
嘆き、恨み続けてしまいます。
親を親と思わずに、
一人の人間として見るようになると、
色んな気づきが得られます。
私は、母親が確か、
38歳の時に生まれました。
母親は早生まれですから、
ちょうど、今の私と同じ。
私も同じ体験をしたら、
どうだろうか。
きっと、
たくさんの不安を抱えているでしょう。
育てていく自信はあったでしょうか。
私には、歳の離れた18歳と15歳違いの、
二人の姉がいますが、(当時姉たちは父親の元にいた)
また、子育てを一からやることに、
どう思ったでしょうか。
私だったらどう思うでしょうか。
そして、約40年前の社会は、
どうだったでしょう?
女一人で、
育てられると思える社会だったかな?
そんな中で、育てられる自信もなく、
女一人で育てていく。
安定している家庭もない。
頼れる夫もいない。(私にとっての父親)
産まない方がいいのではないか、
この子を幸せにしていけるのだろうか。
そんな思いを抱えていたのではないだろうか。
そんな中で、不安を抱え、
迷いながらも、私がお腹を蹴ったことによって、
生まれたいと思っているだと思って、
産む決断をしてくれた。
約40年前の社会。
まだ女性が一人で生きていくことが、
難しかった時代。
この先、どうなるのかも、
未来は分からないのに。
そんな中で、産んでくれた。
命を守ってくれた。
親を当然の存在ではなく、
一人の女性と見ていくことで、
そのような気づきを得て、
そう分かって行ったとき、
心からの感謝でわんわん泣きました。
子どもの頃の親に対する態度、
ごめんなさいという罪悪感、
そして、産んでくれて育ててくれて、
ありがとうという心からの感謝、
たくさんしてもらったこと、愛されていたこと、
母親の愛を知った喜び、
全ての感情が入り混じって、
わんわん泣き続けました。
そこで、
傷ついた自分を癒すという、
傷ついている自分という前提での、
インナーチャイルドの癒しは終わりました。
癒しの代わりに感謝が溢れ返りました。
本当の癒しを得られました。
確かに母子家庭の頃は、
貧しかったです。
でも、小学校に上がる前に、
母親の再婚によって家庭は安定していき、
何不自由ない暮らしをさせてもらいました。
義理の父親にも、
たくさん愛されました。
血の繋がりがなくても、
愛を与えられるという、義理の父親の姿から、
ポジティブな信じ込みとなり、
それは、今の仕事に活きています。
父親は本当に、
社会性や仕事に影響を及ぼしてくれますね。
たくさんの愛がありました。
不足ではなく、愛を見ていくと、
たくさんの愛に溢れていました。
当たり前だと思ってしまうほどに。
愛を思い返していくと、
感謝の思いでいっぱいになりました。
愛は当たり前の中に、
たくさん溢れていたのです。
そして、傷ついている自分という前提での、
インナーチャイルドの癒しは終わり、
癒しの代わりに感謝が溢れ返り、
本当の癒しを得られ、
そうして、たくさんの感謝と共に、
親子関係を卒業していきました。
非嫡出子だとか、
父親を知らないとか、(正確には憶えていない)
望まれて生まれて来ていないとか、
色んな思いでいましたけど、
(欲しいと思って出来た子ではないということ。
欲しい!!と思って欲しかったのwww)
裏を返すと、
それだけ必要だと思って欲しかったんですね。
毎日、毎日、
当たり前の愛があった。
当たり前過ぎて見えなくて、
不足しているものばかりを追いかけ、
不足感をたくさん味わっていたのです。
そして、
そんな不足感の中で、
私は良かったの?
生まれて来て良かったの?
そんな風に、
承認して欲しかったのでしょう。
それは、なぜか?
自分では、自分に対して、
思えなかったからですね。
だから承認して欲しかった。
自分で思えないから、
ずっと親に求めていた思いだったんでしょうね。
大人になってからも、
認められるようにと頑張って、
真の自分から、
どんどんズレていく一方でした。
ふとある時に思い出すあの記憶。
それは、傷ついた体験を、
思い返していたものではなく、
私に気づきなさいとメッセージを送っていたもの。
「産もうかどうか悩んでいたとき、
あんたがお腹を蹴ったんだよね。
今日こそは病院に行かないといけないと思ったけど、
でもその時に蹴ったんだよ。
あ、この子は、
生まれたがっている。
じゃあ産まなきゃ!」
つまり、それは、
私が望んでいたこと。
私が生まれたいと思って、
それが叶った世界だということ。
親は、私の望みを、
叶えてくれた存在だったということ。
親に必要とされていたかどうかとか、
親が私を望んでいたかどうかとか、
そんなことではなく、
私が、生まれたかったのね。
この世に生まれたということは、
そういうこと。
だから、
親にちゃんと必要だと思ってもらいたかったとか、
存在価値を認めて欲しいとか、
そう思っていることがおかしな話で、
生まれたいと願ったあなた。
親はその願いを叶えてくれました。
あなたは何のために生まれて来たの?
あなたは、
何のためにこの人生を生きるの?
親子関係を卒業していくことで、
私が私として、この人生をどう生きるのか、
人生から、それを問われていたことに、
気づいていくようになります。
何のためにこの世界に生まれたいと願い、
親の存在を借りて、この世に生まれて来たのか。
そして、
どんな計画を持っているのか?
自分の人生の目的を明確にして、
その人生を生きていくこと。
全ては必要だから起きていたとしたら?
自分の潜在的な計画があるとしたら?
その前提で見ていく。
なぜ、父親がいないことが、
私にとって必要だったのか?
なぜ、非嫡出子として、
生まれることが必要だったのか?
必要だったから。
そういう必要ベースで見ていくと、
面白い気づきがたくさんありました。
この話は、また書くかもしれませんが、
私が親子関係を卒業しましょうとお伝えしているのも、
自分としての人生があるとお伝えしたいから。
全て必要ベースで振り返っていくと、
自分では気づけなかったものたちが、
たくさん見えて来るようになります。
何のために、
その体験が必要だったの?
すると、今度は反対に、
人生をどう生きろと言われているのか、
そんな潜在ベースからの答えを、
見つけられるようになります。
ここに到達したとき、
いかに自分の人生が素晴らしいのか、
それを知っていくようになります。
だから、
この仕事を私はしているようなものですね。
本当に提供したいものは、
いつもそこなのです。
🔱ご提供中のサービス🔱
🌸個人セッション🌸
今あるお悩み、今ある問題は、
他者基準の人生から自分基準の人生を生きるために
起きているのかもしれません。
自分基準の人生を生き始めたとき、
いかに、自分の人生、自分自身が素晴らしいのか、
今までとは違った人生に気づいていくようになります。
あなたの人生を根本からひっくり返し
あなた本来の望む人生を生き始めるレッスンです💋✨
コメントを投稿するにはログインしてください。