親子関係と宗教問題。潜在意識から見たら…

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女性性の開花なんですけど、
親子関係から見ていくといいですね。

 

深いところからの意識の変化変容が、
可能になって来るでしょう。

 

 

例えば、親が割と支配的で、
自分は親の期待に応えるしかなかった
というような思いをお持ちの方。

 

親が支配的である場合、
これからの人生に必要なのは、
自分の意思を持つことになって来るかと思います。

 

 

親がレールを敷いたと思っている場合、
自分がどうしたいのか、
どうしたかったのか、
何が好きで、何をしたいのか、
自分の思いに気づくことが弱い状態かもしれません。

 

それは、
親がやってくれていたからですね。

 

自分がどうしたいかというよりも、
親がこうしなさいと言う方に従って来たので、
(そうするしかなかった場合も)
自分としてどうしたいかというところが、
埋もれている状態です。

 

潜在意識的に言えば、
そういう親に当たったのではなく(親ガチャ的に)
また、自分とは無関係に親が勝手にやったのではなく、
実はやらせていたのは自分の方なんです。

 

一般的なお話ではありません、
潜在意識的に言えば…です。

 

さて、一体何のために??

 

そこを見ていくと、
面白い気づきが得られていくようになりますよ。

 

 

「はぁ、なんで私の人生ってこうなんだろう。
もっと、意思が強ければ…」

 

そんな風に、
思うこともあるかもしれません。

 

だけど、
自分の意思を持っていればいいのではなく、
実はその反対もあります。

 

自分の意思を持っている人に必要なのは、
反対に、委ねること、頼ることだったりします。

 

どちらが正解、
どちらが不正解ということではなく、
どちらも正解なのです。

 

どちらも体験していくもの。

 

これからの未来に必要なのはどちら?

 

ということですね。

 

 

例えば、宗教問題。

 

これはセンシティブな問題ですから、
気を使う内容ではありますが、
ちょっと、触れていこうと思います。

 

2世さんたちは、
歪んだレールに敷かれたと思っていたりしますよね。

 

宗教2世で、
親が熱狂的な信者である場合、
親を通して、自分の潜在意識にあるのは何か?

 

それは、

 

絶対的な教え。

正しい道という概念。

 

ここかもしれません。

 

人によって異なりますが、
その根底にあったものは何か?

 

それは、
人生の不安だったのかもしれない。

 

漠然と、どう生きたらいいのか、
分からなかったのかもしれない。

 

だから、
導いてくれる人が欲しい。

正しい方向に進みたい。(正しいとされる方向)

 

そんな思いがあったのかもしれません。

 

こうしていれば大丈夫。

これをやれば大丈夫。

 

そんな安心が欲しかったのかもしれません。

 

それを潜在的な親に、
見ていたのかもしれません。

 

 

そして、
自己価値の低さ。

 

劣等感。

 

そんなものも関係して来るのかもしれません。

 

 

劣等感が強く、自己価値が低いと、
反対に使命感が強くなることもあります。

 

その使命感が、
自分の価値を満たしてくれ、
正しいことをしているという、
優越感にも変わるからですね。

 

だから世間には分からないけど、
特別なことをしているという気持ちにもなります。

 

そして、
賞賛もしてくれますしね。

 

表裏一体です。

 

 

話を戻していきまして、
あったのは人生の不安だったかもしれない。

 

そうであれば、
そう思っているのは自分だということ。

 

そんな人生の不安を、
親に見ている。

 

だから、
親も絶対的な存在を望むし、
例え歪んだ道であっても、
絶対的な道として、(そのようなものとして)
親にレールを敷かせるなんてことが起こる。

 

潜在意識の投影とは、
このようなことです。

 

 

でも、自分は違和感を抱いていた。

でも、親に逆らえなかった。

 

大人になってようやく、
嫌なものを吐き出すかのように、
否定できるようになった。

 

女性性の解放など、
感情解放で危ういのは、
自分の感情を吐き出すことで終わってしまうことです。

 

嫌だった。

苦しかった。

辛かった。

 

で終わってしまう。

 

そこで終わってしまうと、
ただ、嫌だという思いを、
ずっと反芻してしまう。

 

その先がないのです。

 

宗教問題関係なく、
親にされたこと、周りにされたこと、
それらを吐き出すとき、
それで終わってしまうと、

 

いつまでも嫌なものを抱え込んで、
そうしてある程度溜まると吐き出すというような、
そんなスパイラルにハマります。

 

不満や愚痴を溜めて、
それを吐き出して、一時はスッキリして、
でもまた溜め込んでは出す。

 

その繰り返し。

 

 

吐き出しているだけではなく、
その先が必要です。

 

じゃあ、どうしたかったの?

どうして欲しかったの?

本当の思いは?

 

いっぱい見ることがあります。

 

 

人は、真っ白いキャンバスに、
なかなか好きなようには描けないんですよね。

 

だから、
コントラストが必要。

 

これが嫌だったな。

あれが嫌だったな。

 

じゃあ、
どうだったら良かった?

 

嫌だったと思う気持ちって、
とても大事なこと。

 

その裏には、
ちゃんと望みがあるから。

 

嫌だったと葛藤があるということは、
裏に本当の自分がいるんですよ。

 

だから、
嫌だったという自分の思いをきちんと尊重してあげて、
その先にある、本当の望みの方へ。

 

嫌だったというままにしておかない。

 

それが続くから。

 

 

これまでの人生が、コントラストであると思い、
自分の本当の望みを描いていく。

 

自分がどうしたいのか?

 

というのを、
ものすごく優先して考えていくことだけど、
ここはトレーニングが必要になるでしょう。

 

でも、トレーニングの価値は、
大いにあります。

 

だって、その先に、
自己一致した本来の自分という、
そんな未来があるのですからね。

 

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