【実話】不幸な人生から、愛と幸せが溢れる豊かな人生になるまで。

プロフィール

 

 

こちらの記事の続きです。

 

父親とのこと。

 

社会人になると、
お仕事をし始めますよね。

 

働くって、楽しいこともあるけれど、
でも辛いこともあったりしますよね。

 

人生の中で、

もう仕事したくない!
もう辛い!もう辞めたい!

そう思ったことはありませんか。

 

私はよく思っていましたよ。

 

それでも頑張っていて、
頑張るしかなかったりして、

 

そういう思いは、
みんな、あったりするものなんじゃないかと思います。

 

 

私は、子どもの頃、実父の顔を知らず、
親の再婚によって、新しい父親が出来たのですが、
私だけがその家族の中で、父親との血の繋がりがなく、

 

なんか、

私なんて居る意味あるのかな?

なんて思っていたんですよね。

 

というのも、事情が複雑で、
母親がもとさやに戻ったから。

 

これ、説明するの大変なんですけど、
結婚しました。子ども出来ました。
離婚しました。別の男性との間に私が出来ました。
その男性と(実父)別れました、
そして最初に結婚した人と再婚しました。(私の現在の父)

 

ステップファミリーですけど、
もとさや連れ子ファミリーですね。

 

 

そして、父親との折り合いが悪く、
18年間も、父親と口をきかずに生きて来ました。

 

実質、一緒に住んでいたのは、
13年くらいなんですけど、
家を出て、たまに実家に帰っても無視でした。

 

で、こういう話をすると、
優しい人はたくさん同情してくれます。

 

そして、
私も心理学を学んでいくことによって、
たくさん自分を癒したのです。

 

ところが、
どうなって行ったかというと、

 

「不幸な自分」という前提が、
加速して行った。滝汗

 

不幸な自分、
可哀想な自分というように認識すると、
潜在意識はそれを望みだと勘違いします。

 

そして、
可哀想な自分として、
どんどん弱々しくなるから、
更に生きづらさが増したりもするんですよね。

 

 

そして、その後、
全ては自分が創り出している
という思考の現実化の仕組みを知っていくのです。

 

好奇心と探究心の強い私は、
どハマりして行きました。

 

それが現在の仕事にもなるくらいですからね。

 

 

私は、親に全く愛されていない子どもだったと思っていました。

 

 

当時は、毒親なんて言葉はないけれど、
母親には毒親要素もありましたしね。

 

母親は毒親。

家庭環境は私のみ血の繋がらない家族。

父親との折り合いは悪い。

 

傍から見れば最悪です。

 

 

だけど、この視点というのは、
自分の視点だけのものなんですよね。

 

自分だけの視点で見ると、
なんで私はこんな目に遭わないといけないんだろう、
って思うようになってしまう。

 

 

そして、
人間の脳の特徴としてあるのが、

 

当たり前に得ているものは認識せず、
されて嫌だったこと、してもらえなかったこと
という不足・不満にフォーカスする

 

というもの。

 

 

つまり、私は、
可哀想な自分、不幸な自分ばかりに、
フォーカスしていたということ。

 

脳には、RASと言って、
検索機能があります。

 

可哀想な自分、不幸な自分という認識を持てば、
脳は芋づる式にその自分を出してくれます。

 

自分だけの体験だけではなく、
ドラマ、アニメ、誰かの話、
色んなところから、
「ほら、可哀想な子ってたくさんいるんだよ!」
という情報をたくさん引っ張って来るのです。

 

そうして、
どんどん不幸な自分、可哀想な自分が、
完成していきます。

 

そう信じて疑わなくなる。

そういう自分として生きるようになる。

 

だから、
創っているのは自分なんです。

 

 

当時、私は幸せになりたかったから、
このような脳の特性を知り、
真逆のことをたくさんして行きました。

 

脳は、不足・不満にばかり意識がいくのなら、
逆のことをすればいい。

 

当たり前に得ていたものに、
たくさんフォーカスしよう!

 

すると、
同じようにRASが働き始めますから、
出るわ、出るわ、出るわ。滝汗

 

芋づる式に大量に出てきます。

 

魚釣りなら、

た、大漁だーーー!!

状態です。

 

 

そして、
意図して見るものを変えていくと、
してもらったことで溢れ返るようになり、

 

むしろ、そちらが現実であり、
本当の出来事だったと認識出来るようになります。

 

 

人間は、自分の見たいように、
前提の通りにしか見ることが出来ないのです。

 

だから、人によって、
生きている世界が全く異なる。

 

 

私は、一体どこを見ていたのだろうか。

 

当たり前の日常の中に、
当たり前に愛がたくさんあったのに。

 

毎日ご飯を食べさせてもらっていた。

衣食住が満たされていること。

 

こういうのは愛そのもの。

 

 

私が好きなおかずはたくさん出ていたし、

 

私にたくさんのお金をかけてくれていたし、
お小遣いもたくさんもらっていた。

 

欲しいものは何でも買ってもらっていたし、
やりたいことは何でもやらせてもらっていた。

 

ありとあらゆるものが、
大量に出て来ました。

 

 

小さな頃は、父親と一緒に寝て、
一緒にお風呂にも入っていたね。

 

私の欲しいものも、
二人で一緒に買いに行ってくれたね。

 

父親がビデオカメラを買っていた記憶も、
それって、私の成長記録を残すためじゃない。

 


ん??

どこが愛されていないの?

どこが???

 

 

普通が嫌だったんだね。

 

単に、不幸な自分、可哀想な自分で、
ドラマチックに、特別感が欲しかったんだね。滝汗

 

努力で、特別になるよりも、
不幸で特別になる方が楽だもんね。

 

い、痛いとこ、突かれた。滝汗

 

女の子あるあるの特別意識。

 

 

働くことは楽しいばかりじゃないよね。

やりがいもあるけれど、大変なこともあるよね。

 

 

もう仕事したくない!
もう辛い!もう辞めたい!

 

と思うこともあるよね。

 

 

でも、お父さんもきっとそうだったよね。

(勿論、母親もそう。)

 

仕事で大変な思いもしていたりしていたけど、
でも、家族のために頑張ってくれていたんだよね。

 

それが、当たり前なら、何を愛と言うのかな?

 

疲れて帰って来ても、
育てている娘が口をきかない、無視するって、
どんな気持ちだったかな?

 

それを、10年以上やられるって、
どんな気持ちだったかな。

 

私だったら耐えられていたかな?

 

しかも、血の繋がりのない娘に。
(父親はそんなこと思っていないだろうけど)

 

その間にも、
それでもたくさん与えてくれていたね。

 

たくさんの愛を与えられていたね。

 

当たり前過ぎて、当然過ぎて、
何の認識もしていなかった日常の中で。

 

 

私は、とても些細なことで、
不貞腐れていたんだ。

 

それがずっと尾を引いてしまい、
いつから、どのタイミングで、何が原因で、
父を無視するようになったのか分からなくなっていた。

 

だけど、今はわかる。

 

親として怒られたことに、
小さな私は、受け止められなかったんだよね。

 

可愛がられて、甘やかされるばかりで、
父親に叱られる体験がなかったから、

 

叱られる=傷つけられる。

叱ることは愛ではない。

 

そんな脳の配線になっていたんだよね。

 

 

そうして、
大号泣で謝罪に行ったのです。

 

そして、謝罪をして、
父親の愛に触れ、また大号泣するのです。

 

 

自分のことしか考えていなかった。

 

親がどれだけ、
与えてくれていたのか、
どんな思いをしていたのか、

 

少しも考えもしていなかった。

 

散々、支えられて来たのに、
一人で大きくなった気になっていた。

 

 

おかげ様の感謝に溢れ返って、
人生が激変して行ったね。

 

 

でも、その後は、
よくなる一方かと思っていたら、
自分のことを忘れていて、
また、脳の特徴に引っかかっていたよね。滝汗

 

自分だって頑張って来たことはたくさんあるのに、
同じように、不足・不満ばかりを見て、
自分を否定して責めて来たね。

 

その体験で、
親子関係という縦軸だけではなく、
自分との関係性という横軸も必要なんだと気づき、
セルフパートナーシップに取り組んで来たけど、

 

この全ての体験から、
当時あった、男性との関係性がうまく築けないという悩みから、
今では、パートナーにとても感謝出来るようになって、
相手もたくさん与えてくれて、お互いに与え合い、
幸せな関係性を築けるようになったよ。

 

当たり前の中に愛が溢れていると気づけたから、
日常にたくさんの愛を感じられている。

 

そして、自分に対しても、
よくやっていると感謝できるようになったから、
たくさん満たされ、
本当に人生が変わって行きました。

 

不幸な私ではなく、
幸せな私として変化変容して行ったね。

 

 

 

毒親要素は、
どこの親でも普通にあったりするもの。

 

全部が毒親そのものじゃないでしょう?

 

人間誰しもある、
欠点を見ているのかもしれない。

 

(全部が毒親だったと思っている方、
是非ともお越し下さい。)

 

 

記憶って作られていくから、
1〜2回の体験でも、
繰り返し思い出すことで、増えていく仕組みがあります。

 

そうして、
「親はいつもそうだった!!」
が出来上がったりするんですよ。

 

小さな頃の記憶なんて、
あいまいだから、もしかしたら自分で自動再生しまくって、
勝手に増やしたのかもしれない。

 

そのように自分を疑ってみることも大事です。

 

そして、
親はそんなつもりはないかもしれない。

 

自分が認識しているものと、
親が認識しているものって、
全く異なったりするものだから。

 

 

自分の前提・信じ込み・思い込みで、
自分の人生を創り上げて行きます。

 

 

そして、衝撃の事実。

 

記憶は選べるんですよ!

 

更に、

 

記憶は作れる!

 

びっくりじゃないですか?

 

 

では、何が真実かもあいまい。

 

そう、あいまいなんです。

 

 

何を確定させるかは、自分の意図による。

 

全て自分が創り出しているのです。

 

勿論、今は無意識にね。

 

これからは、
是非とも意識的に創って行って下さい。

 

 

本当に自分が幸せになりたかったら、
今よりも、もっともっと幸せになりたかったら、
自分の前提を疑って、
本当に見たいものを見ていくこと。

 

愛されていた記憶を思い出そうと意図すれば、
それは芋づる式に出てくるし、
何度も何度も思い返せば、その記憶が増えて行き、
「いつも私は愛されていた!」
が作られて行きます。

 

その感覚が増えていくので、
それが当然だったという状態になる。

 

だからね、
徹底してこれまでの逆をやること。

 

もっともっと幸せに生きて行きたいと望むのなら、
フォーカスするのものを決め、RASを働かせること。

 

RASを働かせるのは簡単だから。

 

徹底してやってみて下さい。

 

本気で人生変わりますよ!!

 

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